一考察

理不尽とか不幸とかに耐えるには、質の良い創作物が一番。

人間は本質的には孤独であって、結局は友人も恋人も素晴らしいものだとは思うけど、縋るものの一つでしかないわけで。それが悪いとは言わないけど、核心に迫れば、何を言っても独りのままだと思う。そう考えるとガンダムニュータイプ、それもジオン・ズム・ダイクン式のものは本当に魅力的というか、人々が生きる上での本質に触れているな、と考える次第。誤解なく分かり合える、というのは孤独でなくなった証拠だから。人間は自我の中に閉じ込められているから、そこを超越できない限り、ひとりぼっち。

だから降り掛かった個人的な理不尽とか不幸に対して喚き立てるのは、かなりナンセンスな所業だと思う。だって自分の中で完結できなければ、まさか他人が解決してくれるわけもあるまいし。状況を嘆き喚く前に、寡黙のままそれに対する対処を練る。そして帰結させる。

そういった手法はまさに小説や映画、アニメや漫画なんかにも描かれている。だからぼくはなんでもかんでも紙だの映像だの、メディアを残したがるし、独りで生きなければならないから本を読んで、映画を見る。そうやってぼくはぼちぼち色んなものに耐えて生きてきたわけで、それなりに実績のある手法だと思う。

しかし、ぼくの見ないものにもそんなことはごまんと描かれているのだろうけど、どうしてこうも喚き立てる人間が溢れかえっているのだろう。受け取り方が下手なのか。確かに人間、なんでも都合の良いように解釈しがちだけど。

とにかく沈黙とは敗北でも逃走でもなく、むしろ助走とか、そんな類のもの。黙っているうちにそいつとの付き合いを考えるための時間で、バリエーションを得るには創作を摂取すべき。

こうしたくだらない考察も、小説がなければできなかったこと。無理矢理に読めという真似はしないし、絶対にほどほどの方が良いけど、少し違った手法での問題解決を、良かったら是非。