嫌悪

別に、ぼくはグロい映画とか小説、アニメが好きなのではない。好むテーマを抽出した結果、ほとんどに凄惨な描写が付き纏うのであって、飛び散る血肉や内臓に興奮を覚えているわけではない。

グロいものが苦手なのは一向に構わないと思う。大体、あの手の描写を拒否するのは、人間の生理的な嫌悪として備わっているのが普通。ぼくはまあ、虐殺器官で触れていたロバート・ドワイヤーの一件に興味を持ってしまって、あれは流石にこたえたけれど、映画や本をそれなりに好む質な故、ある程度の耐性が付いてしまった。

ぼくは戦争やSFとか、人々の存在に重くのし掛かるテーマを内包した作品が好きだ。グロは、必須とまではいかないけど、多ジャンルよりはもちろん多い。ただ、やはり好き。時折、そんなぼくをサイコ野郎扱いする人がいるのだけれど、世界で繰り広げられている戦争とか危ぶむべき未来とかに全く無関心な奴らの方がよっぽどサイコ野郎だと思うし、それに、もっと嫌悪すべき人間というのはごまんといる。

ぼくがこの手の話になって、まず一番に嫌悪するものといえば、グロシーンをぶち込めば話に重みを持たせられると勘違いした創作家。たまに見るだろう。死体をめちゃくちゃな有様で描写して、しかしそれ自体に意味はなく、何かしらの糧として主人公やら他の登場人物の経験に蓄積される、みたいな話。これなんか、命を軽々しく見ている証拠じゃないか。死のそれ自体を主眼ではなくスパイスに仕立てて、物語に重みをのし掛けようなんて下品が過ぎるし、想像の世界といえど、パーソナルな視点で命のやり取りを展開されては困る。何かのテーマの下に誰かを殺すなら、それ相応の生命に対する価値観を念頭に置いていてほしいもの。

一応言っておくが、別に、これでホラーやミステリーを否定している訳じゃない。ぼくはハンニバルシリーズだって、ドラマも観るくらいに好きだし、ロバート・ラングドンシリーズも好きだ。しかし、それらは死自体で重みを作ろうとしない。もっと別のところにテーマがあり、生命はまた別の形で大切にされているのだ。

「生命を利用する」作品が、ただ気持ち悪い。簡単に殺しては、軽いテーマに無理に重量を追加しようとする。ふざけた思考だし、正直、そんな自身の願望を好きに要請しまくる作品が面白いとは思えない。

道徳、倫理どうこうは問わないが、自慰的な作品は程々にしていただきたい。