面白くない映画を観よう

能動的に映画館に行かないと、失敗がない。失敗がないとどうなるかというと、批評ができない。批評ができないと、本当に面白い映画をどこが面白いのか分析できない。分析ができないと、盲目的に何でも面白くなる。

別に悪いとは思わないけど、勿体無い。すごく。何でもかんでも面白いと、本当に面白いものもその程度の面白さになるから。

だから、面白くない映画をあえて観よう。推奨。

映画館に行って失敗したくないというのは、まあ確かにわかる。チケットだって、安くはないし。

だけど失敗はしたほうがいい。そのチケット代も、陳腐な言い方をすれば勉強代だ。でもやっぱり、映画館に行くことがそもそも少ない映画好きもいると思う。

じゃあNetflixを開こう。Amazonプライムでも良い。U-NEXTでも構わない。今すぐ面白くない映画を観よう。時間の無駄ではない。その時間が後に現れる面白い映画の糧となる。

というわけで、ぼくが勧める面白くない映画を紹介しよう。あまり語ってもしょうがないので、一言だけ添えて今日はおしまい。

 

まずはワイルドカードを観よう。

結局何?って映画。原作は小説らしいが、それらしいエンタメ性も文学性も皆無。ステイサムの無駄遣い。

 

次にヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジを観よう。

キャラの魅力を描き切れないとヒーロー映画はおしまいだと思う。特にヴィランはその場限りのキャラクターも少なくはないのだから、そこを怠ると作品全体のウェイトに欠ける。

 

そしてバイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティを観よう。

ポリコレと原作侮辱のオンパレード。徐々に怪しさが際立って、結局最後までちまちまと台無しにしやがる映画。映画でやっちゃダメなことがしばしば目立つ。

 

さあ、サブスクを開け。観ろ。面白くない映画を観ろ。そしてその後に好きな映画を観ろ。そうするとスクリーンの景色がワントーンくらい上がるかもね。

折り合い

他人の機嫌を取ると後々ムカついてくるし、かといってそれを指摘しても面倒になる。

だから「まあしゃあねえな、許してやっか」くらいに思うことにしている。

友達でもなんでも、やっぱり自分の機嫌は自分で取ってほしい気はするけど。

厨二病

自分の定義とは何か、とか言い出すと、大体痛いやつとか厨二病とかに分類される。気持ちはわかるし、思春期が過ぎる議題であると思う。ただこれ、嘲笑で一蹴してしまう輩はそれ以上に酷いやつだとも思う。

こういうのは大体、数千年前から哲学者が唸りながら考えていることで、ぼくらみたいな有象無象に一括りにされてしまう人間が考えたところで到底そこには及ばないし、一般に考えられる自己というのは哲学者がそれまで必死になって捻り出した答えであって、別にぼくら自信が辿り着いた場所ではなかったりするのも多々ある。有名どころで言うと、デカルトの「我思う故に我あり」とか。

デカルト程の賢人がどれだけの苦悩と年月をかけてそこに行き着いたのか、全くもって想像出来ない。自分という存在に問いを投げ、それに挑戦するというのは、普通の人間では到底ままならない。

デカルトは今、笑われているか。無論そんなことはない。笑うやつは馬鹿か、それかよっぽど思想が強い人間だ。

でもぼくらは笑われる。何故って、彼ほど賢くないから。彼ほど偉大ではないから。ぼくらはちっぽけ過ぎるから。

あまりにも知識とか思慮が浅過ぎるんだと思う。だからしょうもない浅い考えで自己という存在の確定に挑むし、行くあてがなくなって病んだり怒ったりする。

ぼくはと言うと、考えないと言えばめちゃくちゃ嘘だ。残念ながら21でもしっかり厨二病を患っている。

と言うのもぼくは読む本とか映画が、結構そういう議題が多かったりする。ハーモニーとかファイトクラブとか、アンドロイドは電気羊の夢を見るかとか。そういうのに触発されやすい。厨二病だから。

ただ考えて考えて、本を読んで、映画を観て、結局デカルトの言葉に行き着く。

考えている実感が、生きている心地がする。考えた結果、流れ着いた場所で音楽をやるのが楽しい。楽しいと考えるから生きているし、考えるのは楽しい。

最近、一人の時間を増やした。嫌なことがいくつか重なってしまって、なんとなく一人になりたかった。別に精神が参っていたわけでもないし、塞ぎ込んでやるとか思ってたわけでもない。普通に生きるついでに、一人になった。

なんか、やっぱりこれがいい。映画を観て、本を読んで、好きなことをのんびり考えて。そういうふうな生き方だと、自分が居る気がする。

ブログはそういう生活の一環で、考えた先だ。別に誰に見られてなくても良いし、見てほしいわけでもなくて、ただなんとなく居心地が良い。性に合っているという言い方が良いか。

煙草を吸って、お酒を飲んで、ゆっくり色々考える。これだけ見ると酒煙草覚えたての嫌な大学生だが、まあ実際大学生だし、良いじゃんか。これをTwitterとかにあげたらとうとう本当に厨二病な気がするけど。おいお前、ブログも変わらないとか言うな。

ただ正直、いつかこういうのにも折り合いを付けたい。精神的にも肉体的にも健康だとは思えないし、今は全く心配はないのだけれど、これでふらっと死んだら笑えない。厨二病だって笑われてる今が一番良い気がする。笑われる程度で終わらせるのが良いと思う。

ブログの更新が途切れたら何も考えてる暇がないか、考える気が起こらないか、それか新しい何かを見つけたか。少なくとも満たされている側には行きたいと思う。

テメェもテメェも連れていく

2023年は、色々なくした。最後には憧れまで燃え尽きて、残ったのは己が身ひとつくらいに思えるような、そんな一年。

10-FEET、本当にありがとうございます。チバユウスケの名をあんな声高に、しかも紅白で叫ぶなんて。あの人がどれだけ愛されているのか、どれだけ尊敬されているのか、またわかった。

チバさんだけは死なないと思っていたんだけどね。やっぱりどんな人でも死ぬんだな。

あーうっさい黙れ黙れ。骨になってもハートは残るぜ。というわけで、あんたも2024年に連れていく。あんたの愛は残ってる。チバさんはかっこいい。俺は憧れた。それでいい。以上。

年が変わろうと、抱負とかも特にない。チバさんが好きだ。それでいいじゃん。