面倒な親父みたい:少年漫画を読まないわけ

完全に読まないって程ではないけれど、好んで読むこともない。ワンピースは一巻で止めたし。

銀魂は単純なギャグとしては好きだったけれど、ある日途中で読むのを止めた。理由は今もよくわからないが、その辺りから少年漫画かなり受け付けなくなった気がする。BLEACH結界師は一応全て読んだ。今の家に引っ越した時に前の居住者が置いていったもので、荷解きの最中に手短な娯楽がそれしかなかったから、とりあえず全巻網羅。その時は普通に面白かったけれど、ぼくの人生に残るかと言われたらそこまで。あまり記憶にない。

これは別に作家の先生方が悪いわけじゃなくて、ぼくの好みの問題、というかぼく自身の生き方の問題だと思う。

やり方も、精神も、信念も、全てに置いて自分が正しいと思うことを取り入れていたいし、押し付けがましいものは苦手だ。ぼくは思考していたいし、最後まで何が正しかったのかを考えていたい。

だからプライベートなところで正解と不正解が存在するものを、どちらが「正しい」と勝手に決めつけて、それをテーマに扱った作品は正直自分には必要ないし、それに時間を割きたくもない。

友情、努力、勝利。これは少年ジャンプのテーマだけれど、どうしても押し付けのような圧を感じてしまう。別に孤独は何ら悪いことでもないし、勝利に固執して狂った人間はいくらでも見てきた。努力はまあ、した方が良いと思う。そこは肯定。ただ1人で生きる人がいても良いし、負け続けても本人が何かを得られたなら何より。それを理解してほしいし、勝手にぼくらの正しさを作らないでほしい。

精神の自由はあるし、それらを見て育った人間をぼくは否定しない。けれど正義中毒チックな輩が世の中には蔓延っているから、ぼくの生きにくさの原因としては恨む。実際、少年漫画の読めないぼくを「可哀想な人間」と形容する奴がいたし。多数派に属さない人間はイロモノだとか、日本人の悪い部分の煮凝りみたいだ。

ぼくは常に思考していたい。反戦反核を軸におき、ナンバリングごとに人々の様々な精神や営みについて、監督自身の解釈を示すメタルギアシリーズ。作品別で様々な視点から、様々な戦争を見つめるガンダムシリーズ。正しさの提示はせず、作り手の中にある考えを描き出し、ぼくに問い掛ける作品が好きだ。ぼくらと作り手のディベートのような、そういうことをしていたい。

信念を外注したら、それはただの社会の傀儡だ。何も考えず、他人の正しさを受け入れる真似はしたくない。ぼくがぼくとして生まれた以上、ぼくという存在はぼくが作り上げたい。

かなり面倒な人間が出来上がるだろうけど、構わない。既にその節はあるし。