夏原永良:浅知恵、長風呂とセンス・オブ・ワンダー。

SF好き大学生バンドマンの陰湿な頭の中。

ファッキン倫理

「道徳が支配するその場所に 芸術や文化は育たない その意見に同感」

ぼくも同感。

無意味になる夜

無意味になる夜

ヒップホップやラップがストリートギャングの抗争代わりとして生み出された代物であったことを、ダンスを習いたての時と、この前の大学の授業で聞いた。二度も聞くと流石に信憑性も固まるし、なんなら先ほども少し自分で調べた。

タクシーのカーラジオ的に流されるレコード大賞を目の端にやりながらぼくは夕食をとっていたのだけれど、まあ、なんというか、「当たり障りのない曲」多いなぁと。別に、それがくだらないとか面白みがないとかじじくさいことは言わない。三浦大知くん、普通に好きだし。

ただなんというか、音楽カルチャーが足踏みしている気がしてならない。いや、足踏みしているものばかりが抽出されて消費されている、そんなイメージ。音楽はガムじゃねぇんだぞ。毎年同じような曲が流行っていて、毎年誰かが消えていく。流行が円環だとは思わないし、長い目で見ればここも時代の転換地点なのかもしれない。にしても、あまりにも長いと思うのは気のせいか。

先程のヒップホップ文化の話に戻るが、平穏の渦中ではやはり文化は育たないらしい。差別が横行していた時代、LSDが合法だった時代のアメリカでは、それこそ数えきれないほど多彩なジャンルの音楽が生まれたのに、平和な場所ではこうも行き詰まるのか。まあ、世の中平穏であるはずがなくて、どいつもこいつも平和ボケしてるだけなんだろう。その上ちょっとした倫理観の逸脱には敏感になって、まるで道徳の潔癖症だ。だから音楽も育たない(ように感じる)。

新世界より」で、倫理規定なんてものがあった。言葉の通り倫理が規定になって明文化されたもので、ポストアポカリプスの世界に生きる主人公達を縛り付ける。そう、縛り付けられているのだ。押し付けにも等しい道徳が蔓延っていて、破ってしまえばただでは済まない。多様性だの道徳性だの、声高に叫ぶのは結構。息苦しかったマイノリティな人間が堂々と生きていける。それも結構。むしろ大歓迎。しかし、何でもかんでもセンシティブにするのもいかがなものか。暗黙の倫理規定ってか。破ればネットリンチか何か食らわせるってか。ブルっちまってなんにもできねえや。

エルヴィス・プレスリーが保守の時代に茶の間のTVで堂々と腰を振ったような、それくらいに振り切っていて、パンチのある人間が出ないものか。ぼくもぼくで、ボブ・ディランの方向性が変わってブチ切れるような人間になりたい。ぼくも、これから現れるアーティストの誰かさんも、倫理くそくらえって言えるといいな。ロック万歳。ファッキン倫理。