地雷、雪庇、満員後電車

長く付き合う人間ほど、ぼくとの相違が突飛するように思える。それを黙認できるかと言われると、ぼくはそこまで大人にはなれなかったし、解決の手段だって、一致点の数と過ごした時間の量しか知らない。

いくつかの別れを数えてみれば、時間も一致点も全く足りなかった。中学の部活動で出会った、権力を牛耳ろうとする外部指導員娘群の良い手駒の彼。ぼくはその時キュウソネコカミにぞっこんだったから、カラオケでは脇目も振らずに熱唱を繰り返したけれど、決まって彼は「真面目な歌を歌え」とご立腹気味だった。ぼくからすれば流行を継ぎ接ぎしたメドレーの方がよっぽど耳障りだったが、そんなことで争っては、彼の批判癖をぼくも持ち合わせる証拠になるからしなかった。もっとも、今ではぼくのほうがすっかり批判癖をぶくぶく太らせてしまったが、それでもやっぱり彼とは絶対に相容れないと思う。だって、癖の質すら違うから。

バンドの解散(クビの出来レース)も、きっと早計か、あるいはそもそも組むべきではなかったのどちらかだ。解散時、ぼくらは高校時代の担任からの依頼でカバー曲のMV撮影をしていた最中だった。解散決定の次の日、ぼくは撮影現場に行かず、彼らは担任に「方向性の違い」と伝えた。方向性の違いなんて、よくもそんな聞こえの良い言い訳を使えたな、と思う。ぼくたちがそもそも方向性の異なる人間であったことは、わかっていたことじゃないか。生い立ちも、憧れも、生き方も、トラウマも。少なからず自身の人生が反映される芸術に何人掛かりで取り組むのに、ずれを言い訳に正当気味に傾けるのは卑怯であるし、応援してくれた友人にも担任にも無礼が過ぎる。

何もかもが足りなかった、そんなぼくたちにはきっと距離が必要だったのに、あまりに無知で未成熟で、その穴を埋めることに危険など微塵も感じなかった。繋がったぼくたちは埋立地を揚々と歩くのだけれど、そこはきっと無理矢理拵えただけで、地続きに見せかけた雪庇に過ぎなかった。ぼくは徐々に崩落する白雪をいち早く見つけて、痛いのはごめんだと逃げる。作り直すのは苦手だから、放ったらかすのが常。

しかし、人間の中には一度繋がった相手とは別れたがらない奴もいる。というか大体、そうだと思う。中学の部活の彼も連絡先を消した後、それを悟ったのちに先輩経由で「仲間大切にしろ」とありがたいお言葉を頂戴したし、バンドのギター担当の彼からも、19歳の誕生日に「傷付けて悪かった。またゲームでもしよう」と的外れな謝罪を受けた。仲直りの握手でお咎めなしの歳はとっくに越えたから、関係修復に先立つのは、まずはドラムの彼の言った「方向性の違い」を正す羽目になる。つまり、同じ方向を向いて同じ夢を見よう、と。皆が同一になりたがる世界は、ジョージ・オーウェルの「1984年」や、伊藤計劃の「ハーモニー」で散々味わった。もしかして、こんなわだかまりを根っこから解消するために、ぼくらはユートピアに向かうのだろうか。人々が全部叫ぶのは同じことで、なり得る素質を全く持たないものは排斥される。もしそうなら、ぼくはなるだけマイケル・アンダーソン1984年の末路を辿りたい。そしてできるなら叫ぶだけに留まらず、生き残って本当にビックブラザーをやっつけたい。まあ、こんなものはパラノイアの戯言でしかないのだから、何も全く案ずることはないと思う。

ここまで言っておいてはなんだが、別に他人付き合いが完全に億劫になってしまったわけではない。ただこれ以上、友人を増やすなり減らすなりは、あまりしたくないだけ。