節穴

伊藤計劃氏のような死の淵に立った人間は、とんでもないものを作るなと、一言だけTwitterでぼやいたことがある。その時、見知らぬユーザーから「戦争を知っているからじゃないかな」と、意味不明の返信。いかにも今、戦争がないみたいな言い方。そんな意図がなく、単純にその人が戦争を知らないなら、伊藤計劃氏を知っていながら戦争を知ろうとしない馬鹿。

9.11が起きた時、ぼくはまだ生まれていなかった。ネプチューン・スピア作戦の時は、まだ小さい子供だったと思う。アフガニスタンからアメリカ軍が撤退したのは最近のこと。この一連だけでも、ぼくは生まれて大学一回生になったのに、アメリカはとてつもない戦争を続けていたものだ。

伊藤計劃氏は戦争を知っていたのではない。自身の生きる世界のことを、沢山知ろうとしたのだ。他人事ではなく、この地球に生きる一人の人間として。

戦争は終わっていない。シリアも、イエメンも、ウクライナも、いろんな場所で、いろんな人が他人を殺している。今日だって、何人鉛玉で死んだだろうか。

日本国憲法は戦争を放棄したけれど、それは戦争から逃げる免罪符ではない。いつだって海を越えれば命の価値が虫ケラ以下の地獄があって、死と隣り合わせの人々がひしめき合っている。

自身の生きるテリトリーにしか目を向けず、それ以外は何も知らないなんて素振りは、そいつの目が節穴としか言いようがない。

せめて目ん玉ひん剥いてニュースを見ろ、卑怯者。