活字至上主義

「大人が本を読めと言う理由がわからない」とレポートに書いたら、「そんなことを言うと反感を買いますし、教養がないと思われますよ」と添削されたことを思い出した。

色々考えたけれど、やっぱり未だにわからない。読みたい奴は読めば良いし、読みたくないなら読まなくて良い。強制する意味がわからない。

今時ぼくら程度が求める知りたい情報も、質の良い文も、ネットにいくらでも転がっている。Googleでキーワードを入力すればニーズが満たされるし、興味のない情報だって、インターネットでは勝手に頭に入ってくる。わざわざ本から摂取しなくたって、洗練された情報はネットワークにもある。流石に専門的すぎると本は必要だけど。

こんなことを言うと「ネットには間違った情報がある」なんて言う人がいるが、本だって間違ったことを書いている。ぼくの好きな小説だって、登場人物の名前がチェコの女性なのにovaが末に付いていなかったり、化学的に矛盾があったり、ぼくの持っている自己啓発本なんか、非難している対象が著者自身であることを自覚し始め、終盤にはただの自己防衛の為の言い訳の羅列だったり。大人はいかにも本を読めば賢くなるというニュアンスで活字を強制するが、考えなしに読めば、本を読む自分に酔ったインテリもどきのモンスターを生み出すだけだ。

大体、本を読ます前に、まず情報を自分で仕分けられる能力を叩き込むべきだ。情報が正しいかを判断する教養をするべきだ。なのに大人はまずあれを読め、これを読め。本が純粋な心にどれだけ有毒か、まるでわかっちゃいない。本を考えなしに読んだ大人が自分を過信して、伴って馬鹿みたいに本も過信している。

ぼくは本を小さい時から読んで、面倒な人間になった。創作物に倫理を解かれるのをまったく嫌い、真っ当な少年時代をシカトしてイレギュラーにのめり込んだ。ある程度情報を仕分けたつもりだったが、どうも物事に対する強い偏見は抜け切らない。純粋だったぼくは捻じ曲がって育った。

本を読めば賢くなる。否定はしないが、読み方を教えねばならない。出来ないならやめておけ。テロリストにインテリがいたことを忘れるな。学生運動の構成員がどんな人間だったか思い出せ。

ぼくが犯罪を犯したら「部屋から大量の本が見つかった」と是非書いて欲しい。どうせメディアはゲームとかサバゲーグッズを晒し上げて、無責任な大人はその傍で「こんな大人になりたくなければ本を読め」と言うだろうけど。活字至上主義は結構だが、関わり方を知らねば何を生むか知っておいた方が良い。