妄想で怖くなった話

時間を持て余すというのは、長期休みの学生の常套句なんだろう。何人もの友人から同じ言葉を聞いたし、ぼくだって会話の最中、譫言のように呟いていることがある。

時間を無駄にするのが悪いとは言わない。ただ折角怠惰に暮らすなら、興味に従順でいたい。そんな若干の言い訳がましさを漂わせながらYouTubeで見つけた、事故で植物状態になり、そこから蘇った人のスレまとめを眺めていた。

その中に、脳の使わない部分を切り取ったという文言が。

個人的に手術というのが少し怖くて、そもそも医療器具でどうこうされるのが苦手だ。別に反医療的な思想を持ち合わせているわけではない。ただひたすらにあの金属の質感とか鋭利さとかが身体に触れる感覚というのが、どうしても慣れない。あまりにも苦手すぎるが故に、体調が悪くなったわけでもないのに、ワクチンを打って三日はずっと横になっていた。

だからその切り取ったというのがどうにも怖かったのだけれど、刹那、少しSFチックな妄想が膨らんだ。

もしそこが「意識」を持つ部分だったら。

ぼくに「意識」があるという証明はできない。独我論者のいい餌食になる発言だけれど、これは事実。ただ今はその思想には少し引っ込んでもらって、あくまで人類には意識があると仮定しよう。

ぼくは思った。果たして人類に使われない器官などあるのだろうか。ぼくの母親は盲腸を切り取っているけれど、当時は要らない器官だと言われていて、特になんとも思っていなかったらしい。勿論そんな事はなく、盲腸はセルロースをバラす重要な部位だ。当時人類が気付いていなかっただけで、やはり人間に無駄な部分とは無いわけで。

だからその脳の使わない部分というのは、本当に必要ないのだろうか。ぼくらが気付かぬだけで、その部位が何かを司っていたとしたら。気付かないということは、もしかするとそこが意識を司る部分だから。

という、ただの妄想。映画の見過ぎ。小説の読みすぎ。SFの過剰摂取。

医療器具に物怖じしすぎた結果、陰謀論者にも匹敵しそうな想像が出来てしまった。

とりあえずぼくは脳みそを引っこ抜かれるのは本当に怖いから、事故は起こさないようにしよう。