昔々

今年で20歳らしい。

20年。もう少し細かく言うと、まだ19年と少し。ぼくはその間、何をしていただろう。ちっとも成長していない気がするし、なんならプライドとか自尊心とかが削がれて、現実主義者寄りのつまらない人間になってしまった。

J-POPを好んでいたのがいつからかロックに傾倒して、小学校では合唱をやっていたから裏声が綺麗に出せたのに、大阪のNHKコンクール銅賞の栄光もすっかり形を潜めて、かなり雑な歌しか歌えなくなった。パンクなやり方も気に入っているけど、やっぱり理論に基づいた発声だとかは本当に美しく聴こえるもので。

色々変わった。近所の好きだった中華屋がなくなって、髪にハイライトが入って、バンドがなくなって。読む本や観る映画がもっと陰鬱になって、音楽の趣味が増えて、手持ちのギターが増えて。友達が減って、増えて。綺麗な声が出せなくなって。人が少し嫌いになって、人が少し好きになって。

昔が良かったとは思わない。無知ほど怖いものはないし、特段至福に包まれていた時期なんて、20年そこらじゃ手に入らない。それでも懐かしむのは、何か未練があるのだろうか。ぼくにはわからない。

過去を思う時の胸の痛みが誰かと共有できれば良いのだけれど、クオリアの形容ができるほどに意志が伝達できるのならば人は争わないし、音楽も本も映画も生まれない。

煩わしさが文化を産むのなら、ぼくという個人の変異もまた、何かを生み出せるやもしれない。堕ちて悔いることが、もしかすると誰かを救う歌になるかも。

希望的観測にしかなり得ないけれど、過去を思う時に生まれた考えだから、過去の純真なぼくからの手向けとしよう。

4月29日。訪れなくなった家の裏手の公園を見て思ったこと。