逃げられたコンテンツ:SFは滅びた論

 

誰が言った

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日本のSFは滅びた、みたいなことが昔、話題になったらしい。わからんでもない。リアル思考に完璧に侵された人。自分のSFが広義のSFであると錯覚する人。そんな奴らがごった煮している国だし、彼が原因だと思われても仕方がない。

詳しくはこちらの方の記事を読んでいただいて。

type-r.hatenablog.com

ぼくはSFが好きだ。伊藤計劃氏に惚れ込んでいるし、読み始めた伊藤計劃トリビュートだって、どれもこれも明確なテーマとセンス・オブ・ワンダーを含んだ傑作揃い。

紹介した記事に、SFを滅んだとする何人かのツイートが紛れている。嫌いだ。

まず、そもそもSFが滅んだためしはない。ガンダムシリーズをSFとすると、まあこれも面倒な層(最初に連ねたの馬鹿ども)から目を付けられるからやめておく。ただ、過去のコンテンツには依存しているものの、SFはその時代に合わせたテーマや話題を持って進み続けているのだ。伊藤計劃トリビュートも、2もあるんだぞ。まだ読んでないけれど。大体ヤマトやエヴァで一世を風靡したコンテンツがなんちゃら警察ごときに潰されるわけないだろうが。

記事に出ているコピーライターのあの人。めちゃくちゃに嫌いだ。異世界ものとSFを同じ土俵に上げる辺り。

読者の平均知能レベルが上がったなら、どうして露骨なほど同じ基盤を持つ作品を許容しているのか。答えは多分、知能が上がったんじゃなくて、考えることを止めたからだろう。あのクソ長い文章をレビューにぶちまけたオタクを擁護する気は全くないが、彼の言葉をみて「めんどくさいやつ」で片づけて、更にこいつらのせいでSFが滅んだなんて、正直、自分が都合の悪いものに耳を傾けない人だと声高に叫んでいるようにしか見えない。「文化警察も現れて~」みたいなことを言って、結局、自分が好き勝手にできる世界に逃げたんじゃないかと思う。だって、何でもありの世界に行こう!なんていうのは、ぼくらが生きる世界と、いかに思考してせめぎ合うか、放棄することに他ならない。SFとわざわざ比べるのなら、そういう風にぼくは受け取る。

ぼくは想像の軸を、まず現実と向き合わせることで養われると考えている。ただし、これを完璧なまでに現実によれば、彼方のアストラ否定クソオタクに早変わり。創作物を楽しめなくなったら終わりだ。そして、フィクション要素も過ぎれば、妄想を見せられている気になるし、小説とかに必要なテーマも必然的に愛や友情とか、使い古されたものになって結局は着地点が同じになる。何もできなくなるか、独りよがりの独壇場にするか。人間はほどほどを知っているから、グレーゾーンを楽しもう。

異世界系、ぼくは読まない。現実と必死に戦って、その中でテーマを作り出す。リアルに世界が感じられる。それが大好きだ。何度も言うけど、ぼくは別に異世界ファンタジーとかを否定はしない。ただ、もしあのコピーライターが言う通り、発端がクソオタクからの逃避だとしたら実に情けないし、一気に嫌うと思う。話題の種になった彼方のアストラの作者、逃げていないぞ。滅んでなんかいるもんか。

伊藤計劃氏がご存命ならば、この話題に群がる人々を一掃してくれただろうか。ブログで、ちょっぴり過激な言葉で。