「ワイルドカード」は結局なんだったのかを考える

ジェイソン・ステイサムの名作と言えば、多分人それぞれ。個人的にはメカニック辺りが好き。

ステイサムといえば言わずもがなそのスレンダーかつ、それでもマッチョな肉体を振り回して観客に魅せるアクションが売りの一つではあるのだけれど、そいつが控えめなハードボイルド映画が存在する。用心棒として日銭を稼ぎ、傍らでギャンブル中毒を引きずる元特殊部隊の男の話。「ワイルド・カード」である。

この作品だが、かなり評価が割れている。高評価だな、と思ったコメントは大体ステイサム大好き人間が持ち上げているだけだったりして、対して大半の意見が「アクションも少ないし、終わりもあっさりしていて物足りない」というもの。確かにそう。数日内にできた友達から金を貰って、自分が嫌う土地から抜け出すというオチに、何を見出せばよいのか。それはそれはかなり難しい。

あ、ちなみにネタバレ注意。遅いか。

原作はウィリアム・ゴールドマンの小説らしいが、日本版もないし、同じく原作を小説とするファイト・クラブのように、わかりやすく文学性がにじんでいるわけでもない。

じゃあワイルド・カードは結局何だったんですかね。

ファイト・クラブはわかりやすい。ぼくらのような一般市民の視点で物質主義から連なる資本主義を解析し、そのイデオロギーへの依存性に対する警鐘を行った作品(だとぼくは思っている)だ。一方でワイルド・カードはなかなかそういった主題が見つからない。

そもそも名作と比べること自体ナンセンスなのだろう。しかし名作こそプロット、脚本、方向性が手本にされるべきだし、映画を解剖する手がかりには比較が一番だ。

ワイルド・カードは、アクション映画として特にめぼしいという訳でもない。特段カッコいステイサムが見られるわけでもない。主人公に何か大きな目標が序盤に設定されるわけでもない。緩慢にステイサムの時間が過ぎて、後々ギャンブルで金を無くして酔いつぶれる。

とにかく全体的にまどろっこしいのだ。話の主題が見えないし、とにかく何も進まない。もし映画館で見ていたら、逆に続きが気になってイライラして寝ないと思う。

そしてそんなワイルド・カードだが、メタルギア風に言うと「追い込まれた狐はジャッカルより凶暴だ」を描きたかったんじゃないかと。

ステイサム演じる主人公は、大金持ちから用心棒の報酬として大金とステイサムが滞在先として夢見ていた島への航空券やらを最後にもらう。しかしそこにステイサムへの復讐に燃える因縁のマフィアが現れるも、それを全員ぶっ殺す。それまで殺しをしなかったのに。

目標の達成を前にすると、人間はなりふり構わなくなる。そんな陳腐な結末とメッセージ。頑張って汲み取れるのはそんなものだろうか。ぼくの理解力の限界。

この映画の魅力は正直言って少ない。プレゼンしろと言われたらすごく困る。かなり困る。アクションも少ないし、ギャンブルのシーンも見所ないし。変なステイサムを観たいならおすすめ。

そういえば、キャッシュ・トラックまだ観ていなかったっけ。最後にステイサムを観たのは2周目のエクスペンダブルズ3だったので、自分のステイサム像を更新しよう。

なんだったのかを考えずに済む。それがステイサム映画だということを再認識したい。